おもちゃのカンヅメ

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ある日。

無性に甘いものが欲しくなって、近所のファミマに行く。お菓子の商品棚を通りかかった時、妙に「チョコボール」が浮き出て見えた。立ち止まっていると次第に、エンゼルを集めていた日を思い出す。

 

母は大人になっても夢をみる人だった。
私がまだランドセルを前に抱えて友だちとぶつかって遊んでいた頃、実家の冷蔵庫の扉には、マグネットで少し斜めに応募用紙が貼り付けてあった。
ヤマザキ春のパン祭り。そして、金のエンゼル・銀のエンゼル。金は一枚、銀は十枚でおもちゃのカンヅメが当たる、例のアレ。

母は長年エンゼルを集めていた。
食べ終わったチョコボールの箱をよくも見ずに捨てると、「当たりがついてるかもしれないじゃない」と、よくどやされた。子供ながらに現実主義な私と妹は「本気で当てたいならたくさん買えばいいのに」と、思っていた。
子どもの私たちと違って、母はおもちゃのカンヅメを大人買いできる。けれどそうはしない。決まって年に数個買ってくるだけ。
反抗期もあって、そんな子どもっぽい母に冷たく接していた。道端に吐き捨てるように「おもちゃのカンヅメなんて大したものじゃないよ」と。それでも、なんだかんだ言って買うのをやめなかった。

しかし、大学生になった頃、20年位収集してるはずなのに、エンゼルが溜まっていない事実を知った。気がつけば、親孝行の一つもしたいと思う年頃になっていた。
積極的に買うのは気恥ずかしいが、思い出した頃に一つ、もう一つ。それを見て、妹が一つ。父親が一つ。多めに買ってくる日もあった。なんだか団欒って感じがした。

結果、あっという間に銀のエンゼルは10枚に。
それは喜びました。宝くじの一等が当たったかのように。

どんなのだろう、本当に来るのかなぁ。期待に胸を膨らませ何日か。

ついに、夢にまで見た「おもちゃのカンヅメ」が家に届いた。

「結構ちゃんとしてるじゃん」盛り上がる私たちを横目に「思ったより普通だったね」どこか寂しそうな母がそこにはいました。夢は叶ったとともに、夢ではなくなった。そうして、チョコボールを買わなくなった。

長い年月が母の中の期待値をいたずらに上げていたのかもしれない。団欒が失われたことに寂しさを覚えたのかも知れない。自分の力だけで、夢を叶えたかったのかもしれない。

真相は今もわからぬまま。

あの日の行動は間違っていたのだろうか。

 

自然と手にした数年ぶりのピーナッツ味。
昔と変わらない優しい味。どこか寂しい味もした。

  

 

おもちゃのカンヅメ 相沢睦 
 

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